このコーナーでは、阪神タイガース所属選手の契約交渉代理経験が豊富な黒田弁護士が、阪神タイガースやプロ野球に関する小ネタをご紹介しています。今日は、黒田弁護士が代理人を務め長年ともに道を歩み、昨年引退なされた関本賢太郎さんの選手生活を振り返ります。

関本賢太郎さんの選手生活

 2010年国内フリーエージェント(FA)権を行使して残留し、3年契約を結んだ時、初めて「引退」の2文字を意識した。同年にFA権を取得。打撃は粘っこくバントは巧み、守備も一、二、三塁をそつなくこなすという複数の顔を持つ役者には、水面下で数球団からの誘いがあったとされる。その中で阪神が複数年契約という「リスク」を取って引き留めてくれたことを意気に感じ、同時に身の処し方を考えるようになった。

 阪神一筋の19年間。挫折を乗り越え、活躍の場をつかんだ。1996年ドラフト2位で入団。大型内野手と期待されてプロの門を叩いたが、現実はとてつもなく厳しかった。

 プロのスピード、技術、身体能力…。
 18歳の青年には想定外だった。

 将来の4番候補でもあったが毎年目の前で戦力外を言い渡される選手を見てきた。

 いつかは自分に言い渡されるであろう戦力外通告…

 毎年恐怖とプレッシャーに押しつぶされそうになり…生き残る為に行き着いたバッティングスタイルが、長打を捨てバットを短く持ち食らいつく。

 まさに一軍に食らいつく関本選手の意地と努力の賜物です。

 必死のパッチは食らいつく意地の表現なのかもしれませんね。

 現在の一番の楽しみは体重管理をしないで好きな物を好きなだけ食べれる事らしいですよ。
 19年間本当にお疲れ様でした。

 2月から各球団沖縄キャンプ地を取材で訪問する予定だそうです。
 テレビでメタボな関本さんが見れるかも…。