連日コメ不足のニュースが流れています。特に、大きな天候異変があったわけでもないのに、なぜ、昨年来コメ不足が叫ばれるのでしょうか。
原因について、いろいろ言われていますが、これという理由が見当たらない気がします。買占め説もありますが、保管が難しくリスクのあるコメを買い占める者など本当にいるのか私は疑問です。
私は、1970年代のオイルショック時のトイレットペーパー騒動をつい思い出してしまいます。結局のところ、各家庭が不足するだろうと買いだめに走った結果ものでした。
今回のコメ騒動があってから、各家庭微妙に買い置きしていませんか?私の家でも普通に普段より少し多く、買い置きとなっています。この各家庭の少しずつが問題ではなかろうかと思います。皆さんの家も、いつもより多くなっていませんか?私の家は、玄米で購入しているので、いくぶん保存がきき、味が落ちるまでの時間はあると思いますが、精米を購入している方は、たくさんあっても味が落ちたり虫がわいたりするだけだと思うのですが…
政府は、備蓄米を放出して、いつでもお米を買えるという安心感を作出し、消費者が、本来の需要行動になるように誘導しようとしています。
しかし、マスコミは、煽ることはばかりして、米騒動を助長している気がします。もっとも、人間、同じ話題には飽きがきて、マスコミも違う話題を探すようになります。そうなれば、今回の米騒動も自然鎮火し、もし、本当に、買い占めている人がいれば、その人は、大損をすることになるでしょう。
日本人って、今まで、お米の消費量がどんどん減っているのに、こういった話題にはすぐ飛びつくのですね。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の一節の中に、「一日4合の玄米と味噌と少しの野菜を食べ」というくだりがあります。質素な暮らしをあらわしたところです。1日玄米4合ですよ!すごい量と思いませんか?4合など私なら2,3日はもちますね。
あと、お米にまつわるお話として、お米は、保存食です。だから、昔は、お米がお金の様な役割がなされていたのですね。物々交換の材料としてとても便利でした。魚や野菜は、途中で商品価値が失われる可能性があります。紙幣の信用などフィクションですが、米は最後生存のための手段として、それそのものに対して価値があった。
そして、昔の人は、新米などは食べなかったそうです。天変地異の不作による飢餓対策として、新米は、村の倉に保存され、3年程経つと、それは食料に回していたそうです。共同体が生き延びる手段として、保存食としてのお米があったのです。
ただ、本当に不足のとき、外国からも自由に買える今の時代に、マスコミに煽られて各家庭が保存行為に走ることがいかに馬鹿げたことか考えて欲しいと思います。