寒い日が続きます。今朝、北海道に道東を旅行中の友人からLINEで写真が届きました。道東は、とても良い天気の様です。

昨日、見た戦後の北海道開拓団の苦労のテレビ番組を思い出しました。

北海道は、戦前から、開拓が進み(多くは、貧しい地域による集団移住)、大正の頃には、湿原や山岳部以外の地域は既に開拓し尽くされていました。

戦中、焼け野原になった都会の食糧難から、国は、いくつもの北海道の開拓団を作り、北海道に移住させました。そして、筆舌を尽くしがたい苦労をされたのが、満蒙開拓団からの開拓団です。

戦前、国の政策の下、日本の貧しい農村から満州への開拓団が結成され、戦後の混乱期に、開拓団の多くの人の命が奪われました。テレビで紹介されていた開拓団は、800余人の開拓団中、帰国できたのは、300人弱の人数でした。着の身着のままで日本で帰ってきても自分たちの居場所はありません。満蒙開拓団帰還者は、北海道や下北半島の開拓ができないと放置されてきた地の開拓に臨まざる得なかったのです。

大昔の話ではありません。私が子供の頃のお話です。開拓団一世の方は、水道も電気も無い、まるで、江戸時代に戻ったかのような環境の中、極寒の北海道荒れ地を開拓されたそうです。「満州で死んでいった仲間、子供達の分までも生きるのだ」という開拓団精神には、テレビを見ていて、涙がでました。

酪農の北海道と言われますが、酪農は、戦後日本人が牛乳を飲むようになってからの産業です。開拓団の方々、どうしても農作物が取れない地域に、活路を求めたのが酪農だったのです。

今後、コロナが収まり、北海道旅行もされる方増えるでしょう。是非、そういった目を以て、北海道を楽しんで頂きたいと思います。