(4日目)
今日は、朝7時半に出発し、板門店に向かう。私にとって今回の旅のメインイベントである。朝の平壌市内、通勤途中の人が行き交う。その中で、日本にはない、びっくりする光景を見た。道路沿いで20名を超える女性集団が一斉に大きな赤旗を振っている。
案内員さんに聞くと「主婦応援隊」との事。外に働きに出ない主婦が朝出勤途中の労働者を応援しているとのこと。
主婦応援隊の他、「楽団応援隊」も見られました。
仕事前に、あれだけ応援されたら、労働者の皆様、頑張らざるを得ません。私の出勤風景とは大違いです。
20分も車を走らせると、平壌郊外にでます。一面畑です。
農繁期には、都市住民も泊まり込みで田舎の応援に行くそうです。案内員さんは、共和国では、それなりの地位の人なのですが、同様に応援に行くそうです。
我々が乗ったマイクロバスは、一路、南の板門店へ向けて高速道路をひた走るわけですが、道路状況の悪い箇所が頻繁に見受けられます。
こんな所を通過するとき、おしゃべりしていたら、舌を噛みました。スーパーマリオの世界。車飛び跳ねます。
3時間弱で、板門店に到着。撮影は、かなり制限された状況になる。途中、マイクロバスに6人の兵士が乗り込む。案内役の将校(中佐)以外は、黒サングラスをした屈強な若い兵士である。一気に緊張感が高まる。手を見ると、人間の拳がこんなになるのかと思うくらい、拳のあちこちにタコができており、相当訓練されていることが見て取れた。
非武装地帯に入るゲートをくぐり、数分で板門店軍事境界線に到着。停戦協議を行った建物や、実際に調印した建物は、記念館としてそのまま保存されている。説明は、「アメリカが停戦して欲しいと言ってきたので、私らが出向くのではなく、こちら側に来てもらって、停戦を行った」という論調であった。
その後、軍事境界線に移動。青い国連色の建物は、テレビや映画でおなじみ。私は、10数年前、一度、南の施設からこの軍事境界線を眺めたことがある。北側から見ることができたという事に感動を覚えた。南側(韓国側)には、たくさんの観光客がいるのが見える。目の前に民族分断の現実の光景が広がる。無論、歴史は、単純な「たら…」「れば…」では、語れないことは、重々承知の上で、日本との合併がなかったら…、後、1週間、日本の降伏が早かったら…、という想いが巡る。
板門店の帰りに、開城に寄る。開城は、近時、韓国との共同事業で、開城工業団地があることで知られる(現在、共同事業停止中)が、朝鮮戦争の際、爆撃等戦禍に見舞われておらず、昔の貴族(両班)の家の街並みが残っている。
旧両班の屋敷の一つで、昼食を取る。伝統的貴族の朝鮮料理。小さなお皿が並び、素材を生かした料理で、日本人の口にも合う。朝鮮人参のは蜂蜜漬けは、珍味であった。
その後、平壌に戻る途中、昔の王様のお墓を観光。
山の中、観光客誰もいない。現地のガイドさんから、お墓についての一通りの説明があった後、「朝鮮人は、お墓をあばくことは、信仰的なものから絶対にしない。学術目的と称して、日本軍は、お墓の一部を爆破し、中から出てきたたくさんの品を運び出し、日本に持って帰った。それが今も返っていない。それらは、朝鮮民族の心である。石炭や鉄といった物ではない。それが、今、日本の博物館などで飾られている事実を日本の皆様には考えて欲しいとの説明を受ける。心にずっしりと響く重みのある言葉であった。
人なつこい犬が寄ってきたので写真をパチリ。
この犬は、墓守なのかな?
平壌に戻り、夕食。平壌駅前の日本の朝鮮総連が経営するというレストランに行く、日本食もあり、お好み焼きが大阪の味であった。
共和国のマッコリはうまい。いっぱい飲んで、就寝。4日目終了
(つづく)