韓国大統領選挙が終わって、3日が経ちました。キム候補支持派の方々もその結果を受け入れ、現在、平穏に政権移譲がなされる雰囲気にあります。
これにより李在明大統領の独裁が始まるのではないかという危惧もされていますが、独裁という言葉を使うことはともかく、政府の意思決定の速度が速まり、政府の動きが速くなるという効果はあると思います。意思決定の迅速化は、権力の暴走がない限り、とても有用なことです。政府が何も決定できないとき、民衆は、一発打開のヒーローを求め、独裁者を生み出すのです。
ただ、暴走は、つきものなのです。暴走を止めるシステムがないと、民主主義は民主主義により葬られてしまうのです。ナチスは、民主主義の過程で生まれたことを忘れてはなりません。憲法学的な話になりますが、ドイツは、民主主義に一定の制限を設けています。なんでも自由な表現が許されている訳ではないのです。憲法の根幹を失わせる表現を制限します。「闘う民主制」と呼ばれています。これに対して、日本は、表現の自由、結社の自由は、厚く保護されており、国民の自制を信頼するシステムです。依然も書きましたが、韓国憲法には、大きな欠陥があると思います。解散権の導入、定期的な審判ではなく、いつでも民意の審判を受ける可能性がある場合、暴走を防ぐことができ、自制された政治運営がなされると思います。
選挙で当選された人は、「全国民の代表(大統領)」なのです。支持者の代表ではないのです。選挙が終われば、ノーサイドがルールです。
韓国の今後の政治に於いて、韓国時代劇ドラマの様な反対派への粛清みたいなことが起こらないことを期待したいです。